gorohaokiのブログ

日常的な様々な課題に興味を持つ。

ノモンハン事件の真実


スターリンのトラウマ
1.ノモンハン事件は1939年、満州ソ連の国境で起きて、教科書では日本軍がソ連の近代兵器に壊滅的打撃を受けて、 ソ連の9千人に対して、日本は5万人の犠牲者を出したと、高校の教科書にまで記されている。ソ連崩壊後の情報公開グラスノスチで明らかにされたのは、事実は全くこの逆で、スターリンに日本軍強しのトラウマを与えたようだ。

2.五味川 純平著の「ノモンハン」や半藤一利著の「ノモンハンの夏」では、日本陸軍の愚かしい誤りを象徴する事件として描かれている。ソ連軍の進んだ機械化部隊という表現も全く事実に反する事がロシアの資料で公開された。日本の戦闘機や戦車の被害はソ連軍の10分の1とまで明かされている。

3.それなのに、東京の大本営では戦線の拡大を恐れて、停戦協定を結ぶ道を選んだ。日本側が平和路線をとった事にソ連は安堵したのに反して、その後に日本は破滅の道に進んだ。なまじいの平和主義が結果的には戦争を拡大した例である。日露戦争ノモンハンでの日本強しのスターリンのトラウマが1941年4月の日ソ中立条約となった。

4.太平洋戦争の末期にソ連軍は中立条約を破棄して満州を大軍で侵略してきた。この時のソ連軍は米国製の近代兵器で武装していた。これは1945年2月ヤルタ会談ルーズベルトスターリンに約束したからだ。それでもスターリンは日本を恐れて腰を上げなかった。米国の広島への原爆投下を見て初めて、ソ連は腰をあげたのだ。近現代史での真実は徐々に明かされてくる。その時、私は家族と一緒に満州奉天市で生活していた。ソ連兵がわが家にまで来て、時計などを持ち去った事も覚えている。